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活動報告2021.11.19

フォトシューティング 「秋」
「桜山荘」深紅の絶景と大正浪漫
画像公開っ!!

こんにちは、柴田泰孝です。

先日、地元岩手町にてフォトシューティングをしてきました。

 

◾️2021年のフォトシューティングコンセプト

地元岩手町の春夏秋冬を表現することをコンセプトに写真撮影を行っております。

これまで以下のロケーションで撮影してきました。

・春:北上川の源泉(弓弭の泉)がある御堂観音、新田の滝

・夏:彫刻とラベンダー畑が素晴らしい石神の丘美術館

そして今回は秋ヴァーションの撮影。

 

◾️秋といえば紅葉。

今回ロケーションとして使われたのは最近地元メディアでも取り上げられた「桜山荘」

燃えんばかりに色付く紅葉は、まさに深紅の絶景。

 

◾️桜山荘内でも撮影。

大正の雰囲気漂う洋間にて。

高天井と照明器具、スライド式窓は当初のまま。

ビクターの電蓄(蓄音機)をバッグに撮影。保存状態も良好で、しっかり作動します。

 

◾️おまけ画像を特別公開♪

前回の「夏」に続いて今回もMY プリンセスを撮影して頂きました♪

 

今回も撮影にご協力頂いたのは、春・夏と同様、写真家の墨谷風香さん、老松弘行さん。御協力頂き、ありがとうございました♪

 

◾️最後にロケ地「桜山荘」について解説

「桜山荘」

南部藩の漢学者・勘定奉行佐々木直作(1817-1894)は戊辰戦争の際、責任を問われ、楢山佐渡と共に罰せられるが切腹は免れ、沼宮内五日市(岩手町)に隠棲する。板垣で囲った粗末な草葺の家に住み、草木の蔭で世を忍びつつ、自らを板垣草蔭と名乗っていた。後に「草蔭塾」と呼ばれる私塾を開いて、子弟の教育に生涯を捧げるが、それは寺子屋とは異なる、士族や郷士子弟を対象としたもので、門下生の多くは各界のリーダーとして育っていった。

後になって、教え子達から「草の蔭では、あまりにも忍びない。」との声があがり、「桑蔭」と改められたとのことである。桑蔭は初代岩手郡長も務め、その信望の暑さは周知のところであった。

その頃、この地では、毎月五日には市が立ち、人々はそれを心待ちにし、その日ばかりは大いに賑わったという。そして今では跡形もないが、裏山は山桜の名所で、桑蔭は殊の外、桜を愛でつつ、自らの家を「桜」と呼んでいた。

~草蔭のうた~

五日市 いつかと待ちし 五日市

桜の桜 今 咲きにけり

桑蔭の長男政徳は、沼宮内小学校の前身・公立郷学校の初代教官で、同様に教育者として世に貢献した。

桑蔭の孫の一人である、後の陸軍大臣・征四郎はこの地で生まれ、明治27年一家が再び盛岡に移り住む小学校4年生までを過ごした。

大正はじめ、板垣一家が東京に引っ越すに当たり、桑蔭塾で訓育を受けた柴田家三代目・兵右衛門が敷地・家屋を買い受け、大正5年新築をして「桜山荘」と号し、現在に至る。